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西郷隆盛 その生き様にファン多し!

西郷さんってこんな人

上野の銅像で有名な西郷さんは、薩摩藩(鹿児島県)で生まれ、江戸時代の終わりから明治時代の初めにかけて活躍した軍人・政治家です。400年以上も続いた江戸幕府を倒し、明治という新しい時代を作るために大きな役割を果たしました。

下級武士の子として生まれましたが、名君といわれた薩摩藩主の島津斉彬に才能を認められて政治の世界で活躍するようになります。ところが、斉彬が亡くなった後、政権争いに巻き込まれて2度(!)も島流しに。不遇の時代を送ります。
幕末の混乱で政情がますます不安定になる中、許されて薩摩藩に戻った西郷さんは、禁門の変、長州征伐、薩長同盟、王政復古、戊辰戦争、江戸城無血開城など、次々に歴史に残る大きな場面で活躍することになります。

明治維新の後、薩摩に戻って隠居生活を送っていましたが、新政府からの猛プッシュを受けて政治の世界に復帰、日本の軍隊の最高責任者になりました。
明治6年、新政府との考え方の違いから政治家をやめて鹿児島に戻り、私学校を創設して教育に力を注ぎますが、4年後、私学校生徒の暴動から始まった西南戦争で敗北し、城山で自刃しました。

西郷さんのエピソードって?

  • 子供の頃、水瓶(豆腐と言う説も)を持って歩いている時に、物陰に隠れていた悪ガキに驚かされた西郷さんは、水瓶を一旦地面に置いてから、ものすごく驚いた表現をして、その後何事も無かったかのように、また水瓶を持って歩いていったのだとか。
  • 晩餐会の時に、「作法を知らない」と言って、スープ皿を手に持ってスープを飲み干しました。そんな飾らない西郷さんの人柄を明治天皇はとても気に入っていたそうです。
  • 狩りや漁が趣味で、暇な時にはよく出かけていました。猟犬をとても大切にしていた西郷さんは、東京に住んでいた時にも自宅で犬を数十頭飼っていて、家の中は荒れ放題だったそうです。
略歴
文政10年
(1827年-28年)
薩摩藩の下級藩士の家に生まれる。
元治元年
(1864年)
薩摩藩の軍司令官になる。
第一次長州征伐
慶応2年
(1866年)
薩長同盟を締結。
慶応3年
(1867年)
王政復古。
明治元年
(1868年)
江戸城無血開城。
鳥羽・伏見の戦いで薩摩軍を指揮する。
明治4年
(1871年)
政治家に復帰。
明治6年
(1873年)
日本の軍隊の最高責任者になるが、辞職して鹿児島へ帰郷。
明治10年
(1877年)
西南戦争に敗れて城山で自刃。

西郷さんの縁スポットはココ!

上野公園 西郷隆盛銅像

上野公園 西郷隆盛銅像

上野の西郷さんとして親しまれているこの銅像は、明治31(1898)年、高村光雲によって作られました。愛犬ツンを連れて兎狩りをする西郷さんです。
西郷さんの写真は一枚も残っていなかったため、肖像画や弟をモデルにして制作されました。
銅像の除幕式で、西郷さんの奥さんがこの像を見て「うちの主人はこんなお人じゃなかった」と言って周囲を困らせたという逸話が残っています。
西郷山公園・菅刈公園

西郷山公園・菅刈公園

明治7(1874)年、政府の役職についていた西郷さんの弟が、兄の住居として目黒に購入した場所が現在公園として公開され親しまれています。
西南戦争で亡くなった西郷さんがここに住むことはありませんでしたが、昭和16(1941)年まで、西郷家の別宅や本邸として使われていました。
庭園は、大きな池と斜面の滝を中心とした広大なもので、明治時代を代表する庭園として高い評価をうけていました。洋館・書院造りの和館などを配置した回遊式の庭園は、東京一の名庭園といわれ、たくさんの名士たちが訪れたといわれています。当時の西郷邸の洋館は、重要文化財として現在愛知県犬山市の明治村に移設、保存されています。
西郷隆盛屋敷跡

西郷隆盛屋敷跡

中央区日本橋人形町一丁目一番(日本橋小学校の正門)
明治4年に上京し、明治6年に政治家をやめて鹿児島に帰郷するまでの期間住んでいた屋敷跡です。当時は屋敷の長屋に15人ほどの書生が住み込み、使用人を7人雇い、猟犬数頭を飼っていたといわれています。
西郷隆盛・勝海舟会見之地碑

西郷隆盛・勝海舟会見之地碑

東京都港区芝5丁目
現在、三菱自動車本社がある場所が、旧薩摩藩蔵屋敷跡です。この場所で江戸総攻撃の前夜、維新側の西郷さんと幕府側の勝海舟が会見を行い、江戸城の無血開城が実現しました。

東京以外の縁スポット 東京を制覇したら足をのばしてみよう!

旧西郷従道住宅 (愛知県)

旧西郷従道住宅 (愛知県)

旧西郷従道住宅は、西郷さんの弟従道が、東京上目黒の自宅敷地内に、来客用に建設した2階建の洋館です。
もとは西郷山公園・菅刈公園にありましたが、現在はこの場所に移築されています。
明治前期の洋館として今も残る数少ない建物のひとつで、洗練されたデザインの質のよい建物として国の重要文化財に指定されています。来日中のフランス人建築家レスカスが設計したと考えられています。
当時のフランスで見られた住宅の典型ですが、軽い屋根材を使ったり、壁の下の方に煉瓦を埋め込むなど、その当時では他に例をみないほどの耐震設計がされていました。

西郷隆盛銅像 (鹿児島県)

西郷隆盛銅像(鹿児島県)

西郷さんの没後50年祭記念として鹿児島市出身の彫刻家で渋谷の忠犬ハチ公像の制作者でもある安藤照が製作しました。製作期間8年をかけて、昭和12年(1937年)5月23日に完成しました。上野の着物で愛犬ツンをつれた親しみやすい姿とは対照的に、日本初の陸軍大将の制服姿で、城山を背景に仁王立ちしています。